偏った自分の熟知だけを拠り所にしてはいけない

広島そよ風お好み焼きというニックネームを聞いて、常にやっぱり違和感があった。

『○○そよ風』は、それっぽいけどそうでないに関してに摂ることができる。
むしろ身はそんなふうにとしか取れない。
何やらまがい物に思えてしまうのだ。

『○存在等級』や、『○存在流』にしたほうが、本物という感じがする。

だが実に『○○そよ風』というセリフは、あんまり『○○くさい』という意味ではないらしい。
ホンマだろうか?
『日本』などは『和式』ものの主旨にもなるらしいが、身はでもどうしてもまがい物イメージを感じ取ってしまった。

私の感覚では『日本』は、『和風を入れました』に関してに思えるのだ。

こうなると、いよいよ気になって仕方がないので、そもそもの『そよ風』の主旨自体を辞書で調べてみた。

ざっくりと該当しそうな箇所を抜粋すると、『そういった生き方です』『そういった感じです』『その傾向がある』に関してがあるようだ。

身はこういう間の、『その傾向がある』だけを認識していたけれども、『そういった生き方です』に関してもあるのであれば、なるほど確かに間違ってはいない。

断然何か世の中のことに否定的な認識を有する時は調べてみるものだ。

偏った自分の熟知だけを拠り所にして事業を批判すると、将来恥をかく。